中年が承認欲求を満たすためのブログ

天鳳プレイヤーが麻雀やその他の趣味について書きます

ご挨拶と自己紹介その3 7年間ほど麻雀をやめた話

(前回の記事)

 

おはようございます超インターネットです。うららかな春の日、皆様いかがお過ごしでしょうか。こちらのほうは朝から雪がちらほら舞っておりまして「何? 今? 何月?」という状態です。『デイライト』という映画でシルベスター・スタローンが自然災害に対して本気でブチ切れるシーンがあったのですが、それが猛烈にカッコ良かったのでオレも倣うことにします。ふざけるなよ地球! 潰すぞ!

 

今回は一時的に麻雀を離れたときの話をしたいと思います。とりあえず時系列的には前回の続きになります。

天鳳で残した小さな成果と関係あったのかどうかはわかりませんが、この頃から、麻雀関連の文章のお仕事を少しずつ任せてもらえるようになってきました。別口でやっていたスポーツライターの仕事も好調で、自分名義の書籍を出させてもらったりもしました。当時はあまり意識してませんでしたが、今振り返るといろいろなことが本当にうまくいっていた時期だったんですねー。

だけど突然なにもかも嫌になったんです。本当にいきなり、すべてのことに耐えられなくなりました。任されていた仕事を投げ出し、関わっていたことから逃げ出し、まつわる人間ほぼすべてとの付き合いを断ちました。理由なんてしょうもないことの積み重ねで、それこそ「3月なのに雪が降ったのでムカついた」なんてことだって完全に無関係とはいえないぐらいのものだったんですが、大きな原因としてはやはり「麻雀が好きだ」というウソをつき続けることに限界が来ていたのだと思います。自分に対しても、他人に対しても。

長い長い雀荘勤めによって、麻雀を打つことはオレにとって苦痛でしかなくなっていました。もともと麻雀がただの遊びとして楽しく感じられていた時期は、他の雀荘労働者や麻雀プロに比べてもかなり短かった人間です。それでも続けていた理由は「仕事としてなら許容範囲の辛さだった」ことと、麻雀以外で人並みにできることが何もなかったからです。麻雀を辞めて、何もない人間になってしまうことが怖かったんですね。

だけど限界がやってきました。この先も一生麻雀に関わり続け、自分と他人にウソをつき続けるのか。そう考えるともう、一秒たりとも耐えられなくなっていました。以降7年、オレは麻雀から遠ざかることになります(正確に言うとこの3年ほど後に一度天鳳IDをつくるのですが、やはり以前ほどには没頭できず3ヶ月で放置となりました)。

 

7年というのは結構な年月ですが、30歳を過ぎると体感的にはほんの一瞬です。麻雀のない暮らしは本当に平和でそれなりに満足のゆくものであり、ふたたび雀荘に勤めたり麻雀プロを名乗ったりしようなどという気持ちは当然これっぽっちも無くなっていましたが、ひとつだけオレの中でくすぶっているものがありました。かつて楽しいと思いかけた唯一の麻雀、天鳳に対する気持ちです。

 オレが麻雀から離れている間に、以前とは比べものにならないほど天鳳は大きくなっていました。プレイ人口や登録IDの増加、段位や鳳凰卓そのもののブランド化、現役麻雀プロをはじめとする多数のリアル麻雀強者の参戦などにより、天鳳は単純なオンラインゲームとしての規模だけでなく「存在そのものの大きさ」をも増したようでした。

その過程をオレは、遠巻きながらも複雑な思いで眺めていました。かつて成し遂げた小さな小さな達成である「八」という段位への到達、ならびに当時の特上卓において積み上げた長期成績が、システムの変更と年月の経過によりゴミのような数字へと変わっていったからです。

 そのことについて「悲しい」「寂しい」と感じる気持ちがまだ残っていたことは自分でも意外でしたが、思えば天鳳はオレが真剣に取り組んだ唯一の麻雀であり、八段到達は麻雀以外にできることが何もないオレの人生における数少ない勲章でした。ならばこのような感傷に襲われたことも、「もう一度どこまでいけるかやってみようか」と思い立ったことも、必然であったのかもしれません。

 

次回は天鳳再開から本格的な麻雀復帰、そして現在に至るまでを書きます。

 

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ご挨拶と自己紹介その2 天鳳を始めたきっかけ

(前回の記事)

 

どうも超インターネットです。そもそも超インターネットって何だよという話で、すでに挨拶するたび死にたくなってるわけですが、天鳳プレイヤーとしてブログを書くならやはり天鳳IDを名乗ったほうが何かと都合がいいですよね。天鳳IDは変更できないので今後も、永久にこのまま。キラキラネームを付けられた子供の気持ちってこんな感じなんでしょうか。オレの場合は自分で勝手に付けたんですけれども。

 

というわけで天鳳を始めたきっかけの話です。初めてIDを作ったのはまだ麻雀プロを名乗っていた頃で、もう10年近く前のことになりますでしょうか。前回もちょろっと書きましたが当時のオレは競技麻雀をしみじみ頑張る気があまりなく、なにかタイトルを獲る以外の方法で名前を売る方法がないかなーそんでもって何らかの形で仕事につなげられんかなーという実体のないことをぼんやりと考えながら、某巨大掲示板でレスバトルに興じる日々を過ごしておりました。そんななかで天鳳というオンライン対戦麻雀ゲームが、完全実力主義でどうやらアツいらしいという情報にたどりつくんですね。天鳳史でいうとちょうど当時のトッププレイヤーだった国立君が、特上卓レート1800制限後初の九段になったぐらいの時期だったかな。もちろん鳳凰卓はまだ実装されておりません。

今でこそ木原浩一氏をはじめとする多数の麻雀プロによって状況はかなり変わりましたが、当時の天鳳界においてはまだまだ「麻雀プロ(笑)」的な考え方が主流でした。天鳳自体の知名度が現在ほどではなかったこともあり、名前を出して参戦する麻雀プロなんていうのももちろん皆無。「これは狙い目なんじゃねーの?」とオレは思ったんですね。(当時の)平均的な天鳳プレイヤーが一様にクソザコナメクジと認識しているであろう下位リーグの木っ端プロが、アウェーであるネット麻雀というフィールドに参戦して好成績を残せば、小規模ながらそれなりにインパクトを残せるんじゃないかと。

てなわけでオレは、プロという立場を明らかにして天鳳に参戦することにしたのでした。ネット麻雀は東風荘を少しかじった程度でしたが、そこで短期確変を引いて無双っぽい成績を残していたこともあり、天鳳のことも完全に舐めてかかっておりました。「パソコンオタクどもに麻雀教えてやるかー(*´ω`*)」ぐらいの上から目線で始めたことをよく覚えています。実態は皆様ご存じのとおり、とんでもないデスゲームだったんですけどね。

結果としては、当時それなりに価値のあった八段までストレートで昇段し、マニアックな界隈とはいえ、まあ、そこそこに名を上げることができました。目論見はぼちぼち成功したわけですが、舐めていたはずの天鳳特上卓のレベルは舌を巻くほどに高く、とりわけ上位陣の麻雀に関しては、教えてやるどころか教えられることのほうがはるかに多いというのが現実でした。

このことは当時、麻雀に関する向上心をほぼ完全に失っていたオレにとって大きな刺激になりました。そして「結果」と「打数」と「実力」という、リアル麻雀の世界においてはしばしばボカされがちな要素に関してすさまじくシビアかつ適正な評価が下されるこのネット麻雀という世界そのものを、少しだけ好きになりかけていました。つまりは「プロとして」とか「メリットが」とかそういうのはもう本当にどうでもよくて、ただ単に天鳳が楽しくなっていったんですね。天鳳プレイヤー超インターネットの誕生です。当時は違う名前でしたけど。

 

次回は天鳳および麻雀そのものを一時的に引退してから、復帰するまでの経緯を書きます。

 

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ご挨拶と自己紹介 その1

はじめまして超インターネットです。何度目になるかわかりませんが、性懲りもなくまたブログを始めることにしました。今回は天鳳プレイヤーとして麻雀そのものや、いわゆる「天鳳TL」で話題になっている事象について書いていこうと思います。好みが合うようでしたら、お付き合いくだされば幸いです。

記念すべき第一回目ということで、自分のことについて少し書きます。自己紹介の類はあまり得意でないというかそのようなことをした経験がほとんどないのですが、必要だと思うのでがんばってみます。

 

麻雀を覚えたのは小学校高学年のときで、TVゲームがきっかけでした。麻雀をやったことのない子供が、年に数回しかないゲームを買ってもらえるチャンスになぜ麻雀のゲームを選んだかについては色々事情があるのですが、ここではそのゲームのキャラクターがとても可愛らしく、楽しそうに見えたからということにしておきます。幸いにも付属の解説書が大変にわかりやすい内容だったので、中学校に進学する頃には細かい符計算をはじめ、一般的なアリアリルールの麻雀をプレイするために必要な知識はひととおり身につけることができました。

普通ならここで同級生に麻雀を教えつつ手積みで一緒に打ったりするのだと思いますが、友達がいなかったのでいきなりフリー雀荘に行きました。フリーのシステムや雰囲気については麻雀漫画で大体の知識を得ていたのと頭がおかしかったのでこうなったのですが、もちろん金も技量もない○学生なので、数千円の小遣いを握りしめて溶けるまでがんばって打つというのを繰り返しておりました。だいたい1~2回で終了でしたけどね。

 高校卒業後は学校に通いつつ雀荘でアルバイトをするようになるのですが、幸か不幸か麻雀に関してはそれなりに適性があったのと、やはり学校で友達ができなかったため、すぐに退学して本格的に雀荘で働き始めることになりました。以降はさまざまな店を転々とし、たまには別の職種を経験しつつも雀荘からは離れられない生活が10年ほど続きます。

その過程で某競技麻雀団体に所属し、いわゆる「麻雀プロ」を名乗ったこともありました。動機としてはこのまま雀荘で働き続けるなり自分の店を出すなりするならプロの肩書きはあったほうがいいかもしれないという判断と、麻雀に関する文章を書く仕事や麻雀漫画の原作などをやってみたいというものでしたが、6年ほど在籍したところで突然何もかもが嫌になって行事をばっくれ、そのまま自然退会というしょうもない幕切れに。この頃になると「麻雀が好き」という気持ちは全くもって消え失せており、また競技麻雀に対する興味もほとんどなかったので、同団体に所属する麻雀大好きマンたちとの温度差があまりにも大きすぎてやはり友達はできませんでしたね。

 

某団体を退会してからは麻雀から完全に遠ざかり、それなりに幸せだがなんとなく物足りない日々を7年ほど過ごしました。現在は麻雀を「完全なる趣味」としてぼちぼちと楽しんでおり、あれほど憎んだこのゲームのこともまあそろそろ許してやるかという気持ちになっていたりするのですが、そのきっかけとなったのはやはり天鳳ツイッターでしたね。次回は天鳳を始めたきっかけと一時的な中断、そして復帰について書こうと思います。というわけで続く。

 

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