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中年が承認欲求を満たすためのブログ

天鳳プレイヤーが麻雀やその他の趣味について書きます

ソバテンを特に警戒すべきケース

こんばんは超インターネットです。実は麻雀の戦術とか考察みたいなものを文章にまとめた経験というのは全くないんですけど、今回はいちおう天鳳に特化したブログを目指しているので、そういうのも頑張って書いていきたいのです。つってもオレの麻雀なんて特別なことはあんまりやってなくて、なんつーか名人に名手なしみたいな? そういうの自分で言っちゃう感じ? まあ名手がないのにチンパンミスはしょっちゅうあるので差し引きするとアレというかそもそもなぜ差し引きする必要がある? あなたの人生は差し引きすると笑っていますか泣いていますか? これ寺山修司が言ってたらしいんですけどいい言葉ですよね。

というわけで、このブログでは「捨て牌読みを押し引きや手組みにどの程度反映させるべきなのか?」というようなアナログ寄りの戦術や、その是非について語っていけたらいいなと思っております。おっさんだし学がないので、期待値とかそういうのはあんまりわからないんですよね。

 

というわけで今回は、誰もが一度は聞いたことのある麻雀用語「ソバテン」について書いてみたいと思います。言うまでもないことですが、ソバテンとはリーチ宣言牌の周辺牌が待ちになっているテンパイのことです。昔からソバテンがありうる牌は他の無筋より危ないといわれていますが、それを押し引きにどこまで反映させるのかといわれると難しいですよね。

 

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たとえばこんな捨て牌のリーチに対して、47pと47s、あるいは36pと36mの危険度はどの程度違うのか?

厳密に突き詰めれば、5pをまたぐピンズは他の無筋よりも少ぉ~しぐらい危険度が高くなるのだとは思いますが、現実的には実戦における押し引きに反映させられるほどの差にはならないでしょう。たぶん。おそらく。きっと。

真面目な話「通常の無筋なら押し得だが、宣言牌またぎの無筋なので降り得になる」というような状況ってありえないと思うんですよね。少なくともオレは、そういう判断で降りに向かったことは一度もないです。

なので基本は「宣言牌またぎも通常の無筋とみなして特別視せずに押し引きすべし」となりますが、例外がふたつあります。「離れカンチャン落とし」と「離れリャンメン落とし」です。

 

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や、

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のような捨て牌のことですね。基本的にカンチャン落としよりもリャンメン落としのほうがソバテンの可能性は高く、間に安全牌が挟まっていればさらに危険度は上がります。理由はあえて説明しませんが、この意味がわからない人は「捨て牌から必要な情報を得る」ということが根本的にまったくできていない人だと思うので、厳しいようですが基礎をもうちょっと学びましょう(*´ω`*)

個人的な基準としては上の捨て牌なら両無筋程度、下なら筋3本分程度に見積もって押し引きをすることが多いですが(もちろん他の情報によって危険度はさらに上下します)、もしかするとこれでも認識が甘いくらいかもしれないのです。

 

 

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もっと勝つための現代麻雀技術論 実戦編

もっと勝つための現代麻雀技術論 実戦編

 

 

画像は『もっと勝つための現代麻雀技術論 実戦編』151ページの問題ですが、ネマタ氏をはじめ3名の回答者が3p切りを正解としています。2ハンの好形テンパイ、東2で平たい点棒状況、親、安全牌なし、残り無筋は11スジとほぼすべての要素が「押し有利」を示しているにもかかわらず、3人の強豪が揃って「テンパイ崩し有利」とするほどに「離れリャンメン落とし」は危険なのです。個人的にはこれくらい限定された状況なら、さすがに押したほうがいいような気もするのですが……

 

それでは実戦での押し引き例を見てみます。過去ツイにちょうどいいのがあったので、2つほど引っ張ってきました。

 

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普通の状況なら絶対にテンパイをとったほうがいい場面ですが、単騎巡りの旅に出ると高確率で7mが飛び出すので、極力「離れリャンメン落としまたぎ」の牌を打たずに良形で押し返せるよう打7p。4mを引いたら5m3m落とし、7mを引いたらさすがにフリテンリーチしたほうがよさそう?

 

 

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ラス目なのでノーテン罰符は喉から手が出るほど欲しく、また降りた瞬間に失点&通した瞬間に加点が確定するので相当な危険牌でも押したほうがいい状況ですが、「離れカンチャン落としまたぎ」&ハイテイなのでさすがにリスクが上回ると判断し、降りへ。これ以外に降りるべき牌は5sぐらい?

 

ソバテンの "無筋" を特に警戒すべき例を紹介しましたが、実はそれ以上にソバテンを警戒すべきなのは "愚形" なんです。リーチ宣言牌に絡む愚形、あるいはリーチ宣言牌がフォロー牌となる愚形で当たりうるに牌に関しては、たとえ筋になっていても無筋とほぼ同等に扱うべきというのがオレの持論です。

出現頻度がもっとも高く、誰もが体感で「通常の筋牌より危ない」と感じているのは、リーチ宣言牌の筋牌、いわゆる「モロヒッカケ」の牌でしょう。これは前述の「リーチ宣言牌がフォロー牌となりうる愚形」の代表的なものです。

 

統計で勝つ麻雀 (近代麻雀戦術シリーズ)

統計で勝つ麻雀 (近代麻雀戦術シリーズ)

 

 『統計で勝つ麻雀』によると、モロヒッカケの28牌で放銃する確率は通常筋と通常無筋の中間から始まり、無筋が1本通るごとに通常無筋に近づく。モロヒッカケの37牌に関しては、終始において通常無筋と1%程度の差となっています。

しかしオレはこの数字に疑問を抱いています。愚形というのは早めに決め打てないケースがほとんどなので、当たりうるカンチャンやペンチャンのフォロー牌が早切りされているケースでは、モロヒッカケといえども危険度はかなり下がります。また、当たりうる愚形を構成する牌がすべて見えているケースもそれなりに多いでしょう。この本はあくまで「統計」をまとめたものなので、そうしたパターンもすべて含めて数字を出しているはずです。ならば当たりうる愚形の関連牌がまったく切られていない場での宣言牌筋は、統計上の数字以上に高くなるのではないでしょうか。それがどの程度の補正になるかはちょっと判断できかねますが、少なくとも「37のモロヒ牌は無筋と同等」というのは頭に叩き込んでおいたほうがよさそうですね。

 

このほかに「愚形のソバテン」を警戒すべきパターンは

 

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みたいなやつです。特に最後の「すでに切られている28が、リーチ宣言時にもう一度切られる」パターンは出現頻度がかなり高いです。鳳凰卓においてはシャンポン待ち、ならびに字牌待ちの優位性が広く知られていますからね。

それでは実戦での押し引き例を見てみましょう。

 

 

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間に牌を挟んでいないのでそこまでの危険度にはなりませんが、「リーチ宣言牌がフォロー牌となりうる愚形は要警戒」のセオリーが頭に入っていれば、ここから1sを切ることはないはずです。

 

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ドヤッ(*´ω`*)

 

 

 

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それなりの手だけどこの1pは普通の無筋より危険という認識。5pは中筋で通りやすいが「リーチ宣言牌がフォロー牌となりうる愚形は要警戒」の法則が一応あてはまる牌。それでも手牌の中で一番切りやすい牌に見えるけど一発目で赤か…… あーどうするよ何切るよ時間ないよ!

 

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バカなんだよなー本当になー1pが危ないってことはシャンポン待ちの可能性が高いってことだからじゃあ片割れなにかっつーと役牌ぜんぶ見えてるからこれ一番危ないやつじゃんねー何やってんのかなーマジで時間がなー当然1pとのシャボでしたあー(。>﹏<。)

 

 

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これもかなりシャンポンがありそう。9pがないので6pか7pとなんかのシャンポン。5pをツモ切ってるのでかなり7p。そして9pが薄いとはいえリャンメンをシャンポンに受けた可能性が高いなら、片割れはほぼ役牌。そうすると切るべき牌はワンチャンスの6sか8sか……

 

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だからなんでこんなにバカなのかなーSEがさーカチカチうっせーからさーマジでバカすぎるし完全に実力放銃だから角田氏ねすら言えなくて本当につらいわ!

 

 

長くなりましたが、とりあえずこんな感じで。理屈を知ってても実践できるかどうかはまた別らしいですが、この記事が少しでも皆様のお役に立てば幸いです(*´ω`*)

ご挨拶と自己紹介その4 また麻雀を始めてしまった話

(前回の記事)

 

書き出しがどうにもゼロ年代テキストサイトっぽい超インターネットです。自己紹介っぽい記事はいちおう今回で終わりとなりますので、痛々しい内容であることは自覚しておりますが、よろしければどうか最後までお付き合いくださいませ。次回以降はもう少しライトな記事をアップしていく予定です。

 

前回の続きということで天鳳に復帰してからの話ですが、その前に少し戻って、麻雀をやっていなかった7年間の話をします。

何もない人間になったことは思っていたよりずっとずっと何でもないことで(ヘンな日本語ですがほかに言葉がみつからない)、不安や恐怖よりはむしろ「もう麻雀をやらなくていいんだ」という安堵と開放感のほうが大きかったことを覚えています。

今までの反動もあり、はじめの3年ほどは本当に激しく麻雀を拒絶していました。あれほど好きだった麻雀漫画もまったく読まなくなり、ネットでもなるべく麻雀関連の話題が目につかないよう気をつけてサーフィンしたものです。そうした一連の行動は自己療法としてそれなりの効果があったようで、麻雀のない日々を一日過ごすたび幸せになってゆく実感が確かにありました。だけどその反面で、過去のうまくいかなかったことを悉く麻雀のせいにするようになっていったんですね。

時系列的には最初の天鳳IDをつくる少し前のことなんですが、10年以上の付き合いがあった女性との関係が、とある事情により完全に終了しました。もちろん将来的、というより近日中(当時)には結婚するつもりでいたので、このことはオレの人生設計および世界そのものに対する認識を大きく変えました。結局のところ何が良くなかったのか? 一体どうすればこの事態を避けられたのか? かつてそんな風に自問自答を繰り返したこの出来事を振り返ったとき、やはりというべきか「麻雀をやらなければ違う未来があったのでは?」という方向に行かざるを得なかったんです。

あのときも、そしてあのときも、もしかしたら麻雀がなければうまくいっていたのではないか? 一度そんなふうに思い始めると、もう止まりませんでしたね。

だけどそんなのって絶対正しくないじゃないですか。それが恐らくは真実でないという意味においても、失敗の原因をひとつのものに押しつけてそれを激しく憎悪したりする思考法そのものも。オレはたぶん、麻雀がなくても他のことで人生をダメにするタイプの人間だったと思います。それを考えると、麻雀はまだ得意なだけマシだったというものです。

麻雀から離れて、麻雀を憎んで、それで幸せになったつもりでいても、7年もの月日が経つとそういったことに気づいてしまうんですね。もちろん麻雀のない生活が、なんとなく物足りないことにも。

 

ハート・ロッカー』という映画があります。スペシャルな爆弾処理技術と天才にありがちな性格異常を併せ持つスーパー軍人が、失敗やいたたまれない出来事を何度も経験してじわじわと普通の人になっていくお話です。はじめは爆弾処理という命がけの任務がもたらすスリルと達成感の虜になっているように見えた彼は、戦場がスタジアムやボールパークでないことにだんだん気づいていきます。

そしてスーパー軍人くんは女房子供と過ごす幸せな生活に帰ってゆくのですが、驚いたことに映画のラスト、彼は再び戦場に戻るのです。世間一般的にこの映画は戦争中毒の男を描いた作品だとされていますが、オレにはこれが「人間は得意なことをやるのが一番幸せだ」という話に見えました。与えられた才能を発揮することは、家族との平和な生活に代表されるような「一般的な幸せ」をも凌駕する幸福感を当人にもたらすことがある。たとえそこに名誉や栄光がなくても。意義や実利を伴わなくとも。オレはそういう映画だと思いました。

 

かつて得意だったことが今でも得意かどうかはわからないけれど、とにかくもう一度やってみよう。モチベーションは前回も語ったとおり「ゴミになった実績を取り戻すこと」。そう決意したのがいつだったか、はっきりとは覚えていません。もしかしたら7年間、ずっと思っていたのかも。

久しぶりに飛び込んだ天鳳の世界は、交流の場が匿名制の巨大掲示板からツイッターに移行したことによりマイルド化したかと思えば一切そんなことはなく、相変わらずの完全実力主義で。システムは変われど勝っても地獄、負けても地獄のパラダイスという本質的な部分は、7年前となにひとつ変わらない姿でそこにありました。嬉しくなっちゃったよねマジで。賭け麻雀の世界にはないこのシビアさが、オレは本当に好きだったんですよ。

 

そんなわけで天鳳と麻雀の世界に戻ってきてから、もうじき2年が経ちます。3ヶ月ほど前からリアル麻雀のほうも復帰し、また十段という一応の目標も達成したことで最近は天鳳の打数も激減しておりますが、このゲームから離れる可能性は将来的にもかなり低いでしょう。そこに関しては、もう腹を括りました。相変わらずのドチンカスクソゲーっぷりに壁や机を殴ることもしばしばですが、それなりに充実してるっちゃしてるといえなくもない日々を過ごしてます。

とりあえずこれで自己紹介というか、オレと麻雀との関わりについて綴った記事は終わりです。長い名刺になりましたが、改めまして今後もよろしくお願いいたします。オレの名前は超インターネット、好きなものは麻雀です。今度は嘘じゃないよ。

 

 

ご挨拶と自己紹介その3 7年間ほど麻雀をやめた話

(前回の記事)

 

おはようございます超インターネットです。うららかな春の日、皆様いかがお過ごしでしょうか。こちらのほうは朝から雪がちらほら舞っておりまして「何? 今? 何月?」という状態です。『デイライト』という映画でシルベスター・スタローンが自然災害に対して本気でブチ切れるシーンがあったのですが、それが猛烈にカッコ良かったのでオレも倣うことにします。ふざけるなよ地球! 潰すぞ!

 

今回は一時的に麻雀を離れたときの話をしたいと思います。とりあえず時系列的には前回の続きになります。

天鳳で残した小さな成果と関係あったのかどうかはわかりませんが、この頃から、麻雀関連の文章のお仕事を少しずつ任せてもらえるようになってきました。別口でやっていたスポーツライターの仕事も好調で、自分名義の書籍を出させてもらったりもしました。当時はあまり意識してませんでしたが、今振り返るといろいろなことが本当にうまくいっていた時期だったんですねー。

だけど突然なにもかも嫌になったんです。本当にいきなり、すべてのことに耐えられなくなりました。任されていた仕事を投げ出し、関わっていたことから逃げ出し、まつわる人間ほぼすべてとの付き合いを断ちました。理由なんてしょうもないことの積み重ねで、それこそ「3月なのに雪が降ったのでムカついた」なんてことだって完全に無関係とはいえないぐらいのものだったんですが、大きな原因としてはやはり「麻雀が好きだ」というウソをつき続けることに限界が来ていたのだと思います。自分に対しても、他人に対しても。

長い長い雀荘勤めによって、麻雀を打つことはオレにとって苦痛でしかなくなっていました。もともと麻雀がただの遊びとして楽しく感じられていた時期は、他の雀荘労働者や麻雀プロに比べてもかなり短かった人間です。それでも続けていた理由は「仕事としてなら許容範囲の辛さだった」ことと、麻雀以外で人並みにできることが何もなかったからです。麻雀を辞めて、何もない人間になってしまうことが怖かったんですね。

だけど限界がやってきました。この先も一生麻雀に関わり続け、自分と他人にウソをつき続けるのか。そう考えるともう、一秒たりとも耐えられなくなっていました。以降7年、オレは麻雀から遠ざかることになります(正確に言うとこの3年ほど後に一度天鳳IDをつくるのですが、やはり以前ほどには没頭できず3ヶ月で放置となりました)。

 

7年というのは結構な年月ですが、30歳を過ぎると体感的にはほんの一瞬です。麻雀のない暮らしは本当に平和でそれなりに満足のゆくものであり、ふたたび雀荘に勤めたり麻雀プロを名乗ったりしようなどという気持ちは当然これっぽっちも無くなっていましたが、ひとつだけオレの中でくすぶっているものがありました。かつて楽しいと思いかけた唯一の麻雀、天鳳に対する気持ちです。

 オレが麻雀から離れている間に、以前とは比べものにならないほど天鳳は大きくなっていました。プレイ人口や登録IDの増加、段位や鳳凰卓そのもののブランド化、現役麻雀プロをはじめとする多数のリアル麻雀強者の参戦などにより、天鳳は単純なオンラインゲームとしての規模だけでなく「存在そのものの大きさ」をも増したようでした。

その過程をオレは、遠巻きながらも複雑な思いで眺めていました。かつて成し遂げた小さな小さな達成である「八」という段位への到達、ならびに当時の特上卓において積み上げた長期成績が、システムの変更と年月の経過によりゴミのような数字へと変わっていったからです。

 そのことについて「悲しい」「寂しい」と感じる気持ちがまだ残っていたことは自分でも意外でしたが、思えば天鳳はオレが真剣に取り組んだ唯一の麻雀であり、八段到達は麻雀以外にできることが何もないオレの人生における数少ない勲章でした。ならばこのような感傷に襲われたことも、「もう一度どこまでいけるかやってみようか」と思い立ったことも、必然であったのかもしれません。

 

次回は天鳳再開から本格的な麻雀復帰、そして現在に至るまでを書きます。

 

(続きはこちら)